日本の名水百選を飲み歩く — 各地の水を飲んで、秦野の仕込み水の立ち位置がわかった

日本の名水百選を飲み歩く — 各地の水を飲んで、秦野の仕込み水の立ち位置がわかった

蔵の仕込み水を毎日使っていると、その味が「普通」になる。硬度90〜120mg/L前後、pHは中性付近、地下から通年ほぼ一定の水温で湧く。数値は知っていても、当たり前すぎて、その個性を改めて意識することは少ない。

けれど他の土地の名水と並べてみると、秦野の水の輪郭がくっきり見えてくる。北海道の超軟水は「味がない」とすら言われるほど澄み、岩手の石灰岩由来の水はミネラルの骨格がしっかりしていて「重い」。奈良の超軟水は「透明すぎる」。そうした水と比べたとき、秦野の水がどこに立っているのか——それを知ると、白笹鼓の味の理由まで見えてくる。

自分の蔵の水のおいしさは、他の水を知ることで初めてわかる。この記事では、各地の名水の特徴を水質データと醸造の視点から整理しながら、仕込み水が日本の名水の中でどういうポジションにあるのかを考えてみたい。名水百選の実態と、水が酒を決める仕組みの話だ。


目次

名水百選とは何か — 選定基準と誤解

名水百選は環境庁(当時、現・環境省)が1985年(昭和60年)に選定した。2008年には「平成の名水百選」としてさらに100箇所が追加され、合計200箇所の「名水」がある。

選定基準は以下の3つだ。

水質・水量。 清澄であること、水量が安定していること。ただし「飲用に適する」ことは必須条件ではない。名水百選の中には飲用不適とされている場所もある。 周辺環境。 水源の環境が良好であること。森林が守られているか、開発圧力に晒されていないか。 人と水の関わり。 地域住民が水源を大切にしているか、水にまつわる文化や歴史があるか。 よくある誤解は「名水百選=飲んでおいしい水ベスト100」だが、実際は環境保全の優良事例集に近い。おいしさだけを基準にするなら、名水百選に入っていない湧水にも素晴らしいものがたくさんある。

秦野盆地湧水群は昭和の名水百選に選ばれている。蔵の井戸水もこの湧水群の一部だ。白笹鼓は「名水百選の水で仕込んだ酒」ということになる。


水のおいしさを決める要素 — 仕込みの現場で培った基準

水のおいしさを感じるポイントは人によって異なるが、日本酒の仕込みで毎日水と向き合っている経験から言えば、以下の要素が特に影響する。

硬度。 硬度20〜80mg/Lの軟水〜中硬水が「おいしい」と感じる人が多い。低すぎると物足りない。高すぎると重い。 温度。 湧水のおいしさは冷たさと不可分だ。10〜15℃の湧水を現地で飲むと、同じ水をペットボトルに詰めて常温で飲むより数倍おいしく感じる。冷たい水は舌の味覚受容体の感度が変化し、苦味などの雑味を感じにくくなるためだ(味覚の温度依存性は Green, B.G. & Frankmann, S.P. "The effect of cooling the tongue on the perceived intensity of taste", *Chemical Senses*, 1987 などで報告されている)。蔵の井戸水が通年13℃で湧くのは、おいしさの点で理想的だ。 鉄分。 鉄分が多い水は金属的な後味がする。酒造りでは鉄分は厳禁だ(酒の色を悪くし、味を壊す)。鉄分の少ない水は「まろやか」「やわらかい」と感じることが多い。仕込み水の鉄分はほぼゼロで、これが白笹鼓の透明な色と味を支えている。 有機物。 森の中の湧水には微量の有機物が含まれていることがあり、「森の香り」として感じられる場合がある。 pH。 弱アルカリ性(pH7.5〜8.0)の水はまろやかに感じる人が多い。仕込み水はpH7.2前後で、ほぼ中性。

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飲み歩いて感動した名水10選 — 仕込み水との比較付き

各地を回った中で、「これは文句なしにおいしい」と感じた場所を10箇所挙げる。

名水 所在地 硬度 特徴
羊蹄のふきだし湧水 北海道京極町 約30 水温6.5℃。日本一「きれい」な水
龍泉洞地底湖の水 岩手県岩泉町 約97 石灰岩由来。ミネラルの骨格しっかり
忍野八海 山梨県忍野村 約36 富士山伏流水。透明感抜群
柿田川湧水群 静岡県清水町 約50 1日100万トン。都市部の奇跡
秦野盆地湧水群 神奈川県秦野市 90〜120 蔵の仕込み水。軟水寄りの中硬水で飲み応え
洞川湧水群 奈良県天川村 約20 超軟水の極み。修験道の名水
白川水源 熊本県南阿蘇村 約80 阿蘇伏流水。仕込み水に近い印象
四万十川源流点 高知県津野町 約20 超軟水。味はほぼ「無」
白神山地の湧水 青森県西目屋村 約15 ブナ原生林が育んだ水
屋久島の湧水 鹿児島県屋久島町 10〜20 花崗岩濾過。超軟水でクリア
1. 羊蹄のふきだし湧水(北海道)。 水温は年間通じて6.5℃で、真夏でも凍えるほど冷たい。飲むと甘みすら感じるやわらかさで、雑味がまったくない。日本で飲んだ湧水の中で最も「きれい」と感じた水だ。ただし仕込み水と比べると「骨格がない」とも感じた。この水で酒を仕込んだら、淡い味わいの酒になるだろう。 2. 龍泉洞地底湖の水(岩手県)。 石灰岩を通ってきた水ならではの硬さがあるが、嫌な重さはない。ここの水で仕込んだ日本酒もあり、辛口でキレのある味になるのは硬度が高いからだ。白笹鼓とは対極の方向にある。 3. 忍野八海(山梨県)。 富士山の伏流水が20年以上かけて地下を通り、玄武岩層で自然濾過されてきた。味はクリアで雑味がない。観光地化が進んで混雑するが、水の質は本物だ。 4. 柿田川湧水群(静岡県)。 国道1号線のすぐ脇から1日100万トンの水が湧く。都市部にこれほどの湧水があること自体が奇跡的だ。富士山系の水は全般的に軟水で飲みやすいが、柿田川は水量のスケール感も含めて一見の価値がある5. 秦野盆地湧水群(神奈川県)。 地元だ。カルシウムとマグネシウムのバランスが良く、飲み応えがある。秦野の水は「ただの軟水」とは違う骨格があって、この骨格が白笹鼓にも出汁にもコーヒーにも個性を与えている。弘法の清水や護摩屋敷の水など、汲みやすいスポットが複数ある。蔵見学に来た帰りに寄って、飲み比べるのがおすすめだ。 6. 洞川湧水群(奈良県)。 超軟水の極みを体験するならここが最適。「何も入っていない」と感じるほど透明な味。この水で酒を仕込んだら、繊細を通り越して儚い味わいになるだろう。白笹鼓の「やわらかいが、しっかりしている」という性格は、秦野の水がこの超軟水よりずっと硬く、ミネラルの骨格を持っているから成立している。 7. 白川水源(熊本県)。 やわらかいがしっかりした味があり、仕込み水に通じる印象がある。硬度約80mg/Lと、秦野の水(90〜120mg/L)に比較的近い中硬水寄りの領域だ。熊本は全量地下水の都市として有名で、水源地で直接味わう体験は格別だろう。 8. 四万十川源流点(高知県)。 水自体は超軟水で、味はほぼ「無」に近い。苔むした岩の間から染み出す水を手ですくって飲む体験は忘れられない。 9. 白神山地の湧水(青森県)。 飲むと森の空気ごと飲んでいるような感覚になる。水のおいしさは数値だけでは測れないという体験をさせてくれた場所だ10. 屋久島の湧水(鹿児島県)。 花崗岩で濾過された水は鉄分が少なく、非常にクリア。仕込み水と同じく鉄分がほぼゼロというのが印象的だった。

名水と地酒の関係 — 水が酒を決める

名水の多い土地には必ず酒蔵がある。酒造りには大量の良質な水が必要で、日本酒1升を造るのに約40〜50升の水を使う。

灘五郷(兵庫県)と宮水。 硬度約175〜180mg/Lの硬水「宮水」が、辛口でキレのある「男酒」を生んだ。 伏見(京都府)と御香水。 硬度約60〜80mg/Lの柔らかい水で「女酒」の産地に。 新潟の地下水。 硬度20〜40mg/Lの軟水が淡麗辛口の新潟酒を生んだ。 秦野の地下水。 硬度90〜120mg/Lは灘と伏見の中間。辛口にも甘口にも振れる柔軟性があり、白笹鼓の穏やかでバランスの良い酒質を支えている。SAKE for Highballのように杉樽で香りをつけた酒も、このベースの柔らかさがあるから杉の木の香りと喧嘩しない。 名水を訪ねる旅と地酒を飲む旅は、同じ旅だ。水がおいしい場所には必ずおいしい酒がある。水の味を知ってからその土地の酒を飲むと、「なるほど、この水だからこういう酒になるのか」という理解が生まれる。

名水を訪ねるときの実践的なアドバイス

容器を持っていく。 ペットボトルやポリタンクに汲んで帰ることができる場所が多い。帰宅後にコーヒーを淹れたり出汁を引いたりすると、水の違いを実感できる。ただし消毒されていないから、冷蔵保存で2〜3日以内に使い切ること。 水温を体感する。 湧水の温度は通年10〜15℃前後で安定している。季節を変えて訪れると同じ水でも印象が変わる。 朝に行く。 人気の名水スポットは観光客で混雑する。静かな時間帯に訪れると、水の音を聞きながらゆっくり味わえる。 近くの酒蔵を調べておく。 名水の近くには高い確率で酒蔵がある。蔵の仕込み水と名水が同じ水系であることも多い。

名水巡りのルート提案 — 秦野を含む3コース

東海・甲信ルート(1泊2日)。 柿田川湧水群(静岡)→ 忍野八海(山梨)→ 秦野盆地湧水群(神奈川)。富士山系と丹沢山系の水を飲み比べられる。秦野では蔵見学(無料60分・要予約)で仕込み水を味わえる。白笹鼓や、清酒(大吟醸)と醸造アルコールをベースに果汁40%で仕上げたレモンサワーの素「クラッチュ」も扱っている。 九州ルート(2泊3日)。 白川水源(熊本)→ 男池湧水群(大分)→ 清水湧水(熊本)。阿蘇の伏流水をひたすら飲み歩くルート。温泉とセットで回れるのが九州の強みだ。 東北ルート(2泊3日)。 龍泉洞(岩手)→ 六郷湧水群(秋田)→ 月山山麓の湧水(山形)。ブナ林と火山と鍾乳洞、異なる地質が生む異なる水を体験できる。東北は名酒蔵の宝庫でもある。 水を目的にした旅は、食も景色も一緒についてくるから効率が良い

水を飲み歩いてわかったこと — そして秦野に戻る

名水を飲み歩いて気づいたのは、水のおいしさとは「邪魔なものがない」ことだという結論だった。鉄分がない。塩素がない。有機物が少ない。硬度が適度。温度が冷たい。この「ない」の積み重ねが、おいしさになる。

そして秦野の仕込み水の立ち位置がわかった。超軟水の「透明すぎる味」でもなく、硬水の「重い味」でもない。硬度90〜120mg/Lという中間帯には、やわらかさと骨格が両立する領域がある。白笹鼓のバランスの良さは、この水の立ち位置から来ている。

各地の名水を飲んでから蔵に戻って白笹鼓を飲むと、「ああ、この水だからこの味なのか」とわかる。その逆もできる。まず白笹鼓を飲んで「やわらかいな」と感じたら、次に秦野の湧き水を飲みに来てほしい。蔵見学は無料・要予約で、仕込み水も味わえる。水を知ると、酒の解像度が一段上がる。

おいしい水の条件 / 軟水と硬水の違い / 出汁と水の科学

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