秦野の水が生む味 — 名水百選の湧水と、酒造りのこと

秦野に来るたびに思うことがあります。空気が、違う。

丹沢の山々に抱かれた盆地に足を踏み入れると、どこからともなく水の気配がします。川のそばでも、湖のそばでもないのに、街全体がうっすらと潤っているような感覚。それもそのはず、秦野の地下には、丹沢山系がゆっくりと時間をかけて蓄えた地下水が、静かに満ちているのです。

今回は、そんな秦野の「水」のことを少し書いてみたいと思います。私たちが酒を仕込む水のこと、この土地の水が生まれるまでのこと、そして実際に水を楽しめる場所のことを。


なぜ、秦野の水は美味しいのか

秦野盆地は、神奈川県の北西部に位置する小さな盆地です。北には丹沢山系がそびえ、その峰々に降り注いだ雨や雪が、長い年月をかけて地層に染み込んでいきます。

丹沢の地質は、主に泥岩・砂岩・礫岩が交互に重なる複雑な層で構成されています。水はこの層を何十年もかけてゆっくりと通過しながら、余分なものが取り除かれ、ミネラルが程よく溶け込んでいく。自然のろ過装置とでも言えばいいでしょうか。地表から地下へ、地下から湧き出るまでの時間が、水の味をつくるのです。

1985年、環境庁(現・環境省)が選定した「名水百選」に、秦野盆地の湧水群は選ばれています。神奈川県内では唯一の選定で、市内に100か所以上ある湧水ポイントのうち、代表的なものがまとめて「秦野盆地湧水群」として認められました。県内唯一というのは、それだけこの水が特別だということを、改めて教えてくれます。

水質の特徴としては、硬度が比較的低く、すっきりとした口当たりであることが挙げられます。一般的に日本の湧水は軟水が多く、秦野のそれもその傾向にあります。やさしくて、でもちゃんと味がある。そんな水です。

水と酒造り — 仕込み水が、味を決める

日本酒は、その重量のおよそ80パーセントが水でできています。米を洗う水、米を蒸す水、麹をつくる環境の湿度、そして醪(もろみ)を仕込む水。醸造のあらゆる場面に水が関わっています。

私たちが「仕込み水」と呼ぶのは、醪に直接加える水のことです。この水の性質が、できあがるお酒のキャラクターに大きく影響します。

硬水には、発酵を促すミネラル成分(カリウム、マグネシウムなど)が豊富で、酵母が活発に働くためキレのある辛口に仕上がりやすい。対して軟水は発酵がゆっくり進み、繊細でなめらかな味わいになりやすい。灘の酒が辛口で、伏見の酒が甘口と言われるのも、仕込み水の硬度の違いが一因です。

秦野の水は軟水寄りです。私たちの酒がどこかやわらかく、米の甘みがじんわり出やすいのは、この土地の水の性格と無関係ではないと思っています。もちろん麹の仕事や酵母の選択、温度管理など、ほかにも多くの要素があります。でも水は、そのすべての土台にある。

蔵の井戸から汲み上げる地下水は、秦野盆地の帯水層から来ています。丹沢の山が何十年もかけて育てた水が、私たちの手を通じてお酒になっていく。そう考えると、一本の瓶に詰まっているものが、少し違って見えてきます。

秦野で水を楽しめる場所

せっかく秦野を訪れるなら、この水を実際に感じてほしいと思います。いくつか、おすすめのスポットを。

出雲大社相模分祠(いずもたいしゃさがみぶんし)周辺の湧水

鶴巻温泉エリアの一角に位置するこのあたりには、昔から湧水が豊富です。観光地として整備されているわけではありませんが、地元の人々が今も生活用水として利用していることを思うと、水の存在感がリアルに感じられます。

震生湖(しんせいこ)

1923年の関東大震災によって地滑りが起き、川がせき止められてできた湖です。水面は静かで、周囲の木々が映り込む様子は、季節によってまったく違う表情を見せます。湧水が湖に注いでいることもあり、水質は澄んでいます。カワセミが来ることでも知られていて、カメラを持った方をよく見かけます。

葛葉の泉(くずはのいずみ)

名水百選の湧水群の中でも代表的な場所として知られています。丹沢山系の山裾から湧き出る水を、直接手で触れて感じることができます。夏でもひんやりと冷たく、水の旅してきた時間を実感できます。

金井酒造店の蔵見学

私たちの蔵でも、見学を受け付けています。実際に仕込み水を汲み上げる場所をご案内しながら、水と酒造りの関係をお話しする時間を設けています。試飲もしていただけますので、水から始まる味の旅を、ぜひ完結させてください。蔵見学の詳細はこちらのページからどうぞ。

水を、飲む前に感じてみる

秦野という土地は、派手さよりも、じっくり味わうことが似合う場所だと思います。山があって、水があって、その積み重なりの中に暮らしがある。私たちの酒も、そういう土地の時間の中で生まれています。

お酒を飲むとき、ふとこの水のことを思い出してもらえたら嬉しいです。グラスの向こうに、丹沢の稜線が少し見える気がするかもしれません。

秦野に来た際には、湧水に触れて、蔵に立ち寄って、地の酒を一杯。そんな一日が、誰かの記憶に残ってくれたら、つくる側としてこれ以上のことはありません。

金井酒造店は、神奈川県秦野市にある小さな蔵です。丹沢山系の地下水を仕込み水に使い、秦野の米と技で醸した地酒を、地元の皆さんや訪れる方々にお届けしています。蔵見学・試飲のご予約はこちらから。地酒の詳細は商品ページをご覧ください。
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