金井酒造店という蔵のこと — 明治元年から秦野で、なぜ酒を醸し続けるのか
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日本酒の消費は、何十年も右肩下がりだと言われます。蔵の数も減り続けている。そんな時代に、なぜ秦野の小さな蔵が、いまも毎年酒を醸しているのか。その問いに答えるには、百五十年以上前、ひとりの女性の話から始めるのがいいと思います。少し長くなりますが、一本の酒の向こうにある蔵と土地の話だと思って、付き合ってもらえたら嬉しいです。
※ 写真はイメージです
目次
はじまりは、ひとりの女性だった
金井酒造店が秦野で産声を上げたのは、明治元年(1868年)。日本そのものが大きく変わり始めた年です。その蔵を起こしたのは、佐野りきという女性でした。
明治の初めに、女性がひとりで酒蔵を興す。それがどれほどのことだったか、記録に残る言葉は多くありません。けれど、丹沢から湧き出る水を糧に、一から酒造りを始めたその意志は、百五十余年を経たいまも蔵の底に流れています。強さ、というよりは、しなやかさ。季節に逆らわず、水の流れに従いながら、それでも前へ進む力。わたしたちが大事にしたいのは、長く続けてきたという事実より、彼女が最初に打ったその拍子のほうです。
なぜ佐野りきは、この秦野で酒を醸そうと思ったのか。記録に残らない動機を想像するとき、わたしたちはいつも、この土地そのものに目を向けます。答えは、たぶん秦野という場所に書いてあるからです。
秦野 — 神奈川で、ただひとつの盆地
秦野は、神奈川県でただひとつの盆地です。北に丹沢の山々、南に渋沢丘陵。三方を山に囲まれた地形が、独特の気候をつくります。日中は暖かく、夜は山から冷たい空気が下りてきて冷える。この昼夜の寒暖差が、米にも、酒にも効いてきます。寒暖差は作物の味を濃くし、低温でゆっくり進む発酵は、酒の香りを繊細にする。盆地であることは、秦野が酒の里であることの、いちばん大きな理由です。
そして、水。丹沢に降った雨と雪が、長い時間をかけて地層を抜け、町のあちこちで湧き出します。その湧水群は、環境省の「名水百選」に選ばれている。蛇口の水ではなく、湧き水で暮らしが成り立ってきた町です。山に囲まれ、名水が湧き、寒暖差がある——酒造りに必要なものが、はじめからこの土地に揃っていた。佐野りきは、それを見抜いていたのだと思います。蔵は、土地が呼んだ。そう考えると、百五十年の話がすとんと腑に落ちます。
その水は、どこから来るのか — 丹沢、海底火山の記憶
秦野の水を本当に知るには、いちど一千万年の単位で時間をさかのぼる必要があります。少し壮大な話ですが、付き合ってください。グラス一杯の水に、それだけの時間が溶けています。
丹沢は、もともと山ではありませんでした。今からおよそ千七百万年前、このあたりはまだ海の底で、活発に噴火する火山だったと考えられています。その火山が、フィリピン海プレートに載ってゆっくり北へ運ばれ、五百万〜六百万年前に本州へ衝突。さらに百万年ほど前、南から伊豆の地塊が押し寄せて衝突し、丹沢は一気に空へと押し上げられました。秦野の北にそびえる山並みは、地球が海の底の火山を持ち上げた、その痕跡なのです。
火山だった生い立ちは、水の味に効いてきます。丹沢の地層は、火山がつくった凝灰岩に、泥岩・砂岩・礫岩が複雑に積み重なった、ぶ厚い層です。丹沢に降った雨や雪は、この地層を何十年もかけてくぐり抜けながら、余計なものを濾し取られ、ミネラルを少しずつ溶かし込んでいく。気の長すぎる、天然の濾過装置です。
そして秦野盆地は、その水を溜める巨大な器でした。地下およそ百〜百五十メートルに「吉沢ローム層」という、箱根の火山灰が風化してできた粘土の層があります。これが水を通さない蓋のように働いて、地下水を浅い層と深い層の二段に蓄えている。盆地全体が、七億五千万トンとも言われる水を抱えた、天然の水がめです。湧水は、この地層の境目から地表へあふれ出してくる。一九八五年に名水百選へ選ばれ、二〇一五年の「名水百選 選抜総選挙」では、おいしさの部門で全国一位にも選ばれました。
長い地中の旅は、水質にもはっきり出ます。秦野の水は、日本の感覚では軟水寄りでありながら、世界基準(WHO)では中硬水にあたる、ちょうど中間のミネラル感を持っています。よく知られた銘醸地でいえば、キレのある辛口を生む灘の硬水と、まろやかな伏見の水の、あいだあたり。だから秦野の酒は、やわらかさと、芯の通った旨みの、両方を持てるのだと思います。千七百万年前の火山のミネラルが、丹沢の地層を何十年もかけて旅して、いま蔵の井戸から出てくる——仕込みの朝にその水へ手を浸すたび、途方もない時間の上で酒を醸しているのだと、静かに思います。
丹沢の海底火山から蔵の井戸までの、この水と地質の物語は、別の記事でさらにくわしく掘り下げています。→ 秦野の水はなぜ酒に向くのか — 千七百万年前の海底火山がつくった仕込み水
蔵の井戸と、笹の名
その、気の遠くなるような時間を旅してきた水を、わたしたちは蔵の地下から汲み上げ、毎日の仕込みに使っています。やわらかく角のない秦野の水は、発酵をおだやかに進ませ、まろやかな酒を生む。白笹鼓のやさしい口当たりは、技術より先に、まずこの水から来ています。
蔵の名にも、変わらないものが宿っています。代表銘柄「白笹鼓(しらささつづみ)」の「笹」は、秦野市今泉の白笹稲荷神社から。関東三大稲荷のひとつとも称される古社です。蔵の根は、この土地の信仰と、丹沢の水にある。そして「鼓(つづみ)」は、佐野りきが打ち始め、明治元年から一度も止まることなく続いてきた、蔵の鼓動そのものです。
音楽を聴かせて、酒を醸す
金井酒造店は、発酵するタンクに音楽を聴かせて酒を育てる「音楽醸造」から生まれた蔵です。いまは全量ではなく、一部の酒が音楽を聴きながら育っていますが、その思想はいまも酒の名前のなかに流れています。鼓、調べ、音、巡り——どれも音楽の言葉です。蔵が奏でる一曲のなかで、それぞれの酒が違うパートを受け持っている。そんなふうに、名前をつけてきました。
白笹鼓という鼓が、基調を打つ。その変わらない拍子の上で、季節ごとに、年ごとに、わたしたちは新しい楽章を重ねていきます。土台があるからこそ、思い切って冒険できる。蔵の名前が音から生まれたことは、わたしたちにとって偶然以上の意味を持っています。
二度、生まれ変わっても
正直にお話しすると、金井酒造店は近年、大きく姿を変えた蔵です。その鼓は、いちど消えかけました。
近年、経営の手が二度替わっています。一度目は、事業再生を手がける投資ファンド「くじらキャピタル」のもとで。ECもSNSもなかった蔵に新しい風が入り、立て直しが始まりました。そして二度目——二〇二三年からは、秦野の地元企業「株式会社ココハダLAB」が蔵を引き継いでいます。代表は、「ジェントル祐介」こと椎野祐介。秦野で生まれた蔵が、めぐりめぐって、また秦野の手に戻ってきました。
いま蔵を彩る挑戦の多くは、この二〇二三年からの新しい章で生まれています。フルーティーな香りの黒笹、甘酸っぱい碧笹と緋笹、その年の土地を映すミライザケ、そして大吟醸ベースのレモンサワー「クラッチュ」。白笹鼓という変わらない鼓の上に、いま次々と新しい楽章が重なっているところです。
それでも、経営が替わって動かないものがあります。味です。酒造りを預かる杜氏・米山和利は、東京で働いていた頃に日本酒の奥深さに惹かれ、母の病をきっかけに秦野へ帰郷し、この蔵の門を叩いた人。先代・内山杜氏から受け継いだ「笹の露」の味を、いまも変えずに守り続けています。誰が蔵を持とうと、丹沢の水と、その味だけは動かさない。明治元年に佐野りきが打ち始めた鼓は、消えかけては受け継がれ、いまも止まっていません。
※ 写真はイメージです
土地を醸す — ミライザケというテロワールの実験
新しい章のなかで、わたしたちがいちばん遠くまで踏み込んだのが「ミライザケ」です。
テロワール、という言葉があります。もとはワインの世界のもので、ぶどうが育つ土地の土壌・気候・水のすべてが酒の個性になる、という考え方。これを日本酒で正面からやったらどうなるか——その問いへの、蔵の答えがミライザケです。秦野という土地が、その年に蓄えたもの。それを混ぜ物のない形で、そのまま瓶に封じ込める。
だから米にもこだわります。使うのは、表丹沢を望む大地で育てた減農薬の特別栽培米「五百万石」。辛口の一本には、神奈川の飯米「はるみ」も合わせます。水も米も、できるかぎり秦野で。「オール秦野」へ近づこうとするその姿勢こそ、ミライザケがテロワールを名乗る根拠です。性格の違う三本があり、同じ土地を別の角度から映します。力強い無濾過原酒の「大地」、繊細な吟醸の「詩歌」、骨太な辛口の「奏炎」。
なかでも「詩歌」という名前には、土地のもうひとつの層が込められています。秦野が生んだ近代短歌の歌人・前田夕暮への敬意です。同じ盆地の空気を吸い、同じ丹沢を眺めて言葉を紡いだ人がいた。その土地から、いま酒が生まれている。土地が文化を生み、文化がまた土地を語る。酒に土地の味が宿るなら、言葉にも土地の景色が宿るのです。ミライザケの一本一本と、その土地の物語は、ミライザケ — 秦野のテロワールを醸す、金井酒造店の実験室にくわしくまとめています。
もうひとつの音 — レモンサワーも、梅酒も
「酒蔵がレモンサワー?」「日本酒の蔵が梅酒?」と思われるかもしれません。でも、ここまで読んでくださった方には、それが寄り道ではないと伝わっていたら嬉しいです。
わたしたちは、その新しい一杯を「ササノネ」と呼んでいます。文字どおり、笹の音。白笹鼓という鼓の基調から少しだけ外れて鳴る、もうひとつの響きです。日本酒という楽譜にはなかった音を、ここで鳴らしていく。レモンサワーも梅酒も、その楽章のひとつ。そして、これらは「日本酒蔵だから」作れるものでもあります。大吟醸を仕込む技術がなければ、クラッチュのあの透明感は出ない。米と発酵を知らなければ、ウメザケの繊細な調和は生まれない。
クラッチュ(レモンサワーの素)
いま、多くの人がいちばん気軽に飲む一杯がレモンサワーです。だからこそ、蔵の技術を本気で注ぎました。焼酎やスピリッツではなく、大吟醸をベースに。湯河原産レモンを果汁40%、糖類も香料も酸味料も入れていません。たばこ祭の蔵のブースでは、このレモンサワーが二日間で千杯を超えて出ました。かつて畑で働く人に酒を出していた蔵が、祭りの日に一杯を手渡している。明治元年の出発点と、地続きの光景でした。
クラッチュ 湘南潮彩レモン40
大吟醸ベースのレモンサワーの素。湯河原産レモン果汁40%、糖類ゼロ・香料ゼロ。炭酸で割るだけで、缶とは別物の一杯に。
¥2,750(720ml・税込)
クラッチュを見る →レモンサワーそのものをもっと知りたい方は、こちらもどうぞ。クラフトレモンサワーとは — 果汁率で変わる味の世界 / 蔵元の高果汁レモンサワーの作り方
ウメザケ(梅酒)
梅酒もまた、秦野の土地から生まれます。従業員が手摘みした秦野の梅を、蔵の日本酒にじっくり漬け込む。梅酒はブランデーや焼酎ベースが多いなかで、あえて日本酒ベースを選んでいます。米の甘みと梅の酸味が、同じ発酵の文脈で穏やかに溶け合う。全国梅酒品評会の日本酒梅酒部門で銀賞をいただきました。手摘み・手仕込みのため量はつくれず、毎年、収穫できた分だけのお届けです。
白笹鼓 ウメザケ(梅酒)
従業員が手摘みした秦野の梅を、蔵の日本酒で漬け込んだ梅酒。全国梅酒品評会・日本酒梅酒部門 銀賞。甘すぎず、日本酒の旨みが生きた深い味わい。手摘み・手仕込みの限定品で、完売次第その年は終了します。
¥2,750(720ml・税込)
ウメザケを見る →この梅酒がどう生まれるかは、別の記事でくわしく書いています。秦野の梅で仕込む梅酒の話。レモンサワーや梅酒を含む「もうひとつの音」の全体像は、ササノネ — 日本酒蔵が奏でる、もうひとつの音で。割って楽しむために四年がかりで仕上げたSAKE for Highballもこの楽章の一本です。
あなたの最初の一音が、レモンサワーでもいい
明治元年から、わたしたちがしてきたことは、つきつめれば一つだけです。佐野りきが信じた水と季節の巡りの上で、その時代の人がいちばん飲みたい一杯を醸す。 濃醇な酒も、淡麗な酒も、テロワールのミライザケも、レモンサワーも、梅酒も、すべて同じ鼓動の上にあります。
日本酒を飲んだことがなくても、苦手でも、かまいません。レモンサワーや梅酒が、あなたとこの蔵の最初の一音になるなら、それはわたしたちにとって願ってもないことです。そこからいつか、白笹鼓の一杯や、秦野の土地そのものを映したミライザケにたどり着いてもらえたら——その「好みを探す旅」に付き合うために、わたしたちは今日も秦野で、鼓を打ち続けています。
笹の物語の全体は笹の物語 — 音楽醸造の蔵が、過去のすべてを未来へ連れていくに、季節の酒と佐野りきの話は春夏秋冬の笹に、蔵が立つ土地そのものを歩きたくなったら秦野観光ガイドにまとめています。